たいていの場合、相手を威圧したいときに用いる。
で、多くの場合、反感を買う結果が得られる。
なので、よっぽどのことがない限りは、
学歴とかいうものに頼る人に対して、
私は、
それは過去のデータであって、
現在それを維持できているかは甚だ疑問であると、
提言する。
多くの場合、若手を上手に抜擢しない組織は
自浄作用が働かない。
民間だったら倒産するという自浄作用はあるが、
どこの学校に行ったかどうかが、
評価の基準になるかどうかも、甚だ疑問である。
ただ、官が権威的でなくなったら、
それはそれで困ったものであるから、
なかなか問題は根深い。
解決策はないこともないが、
私がわざわざ親切に提言する必要もないだろうし、
中間管理職の悲哀も知っているものだから、
結果的に、
「もし私だったらどうするか?」を考えてみて、
わが身のふがいなさを顧みるくらいしかない。
だから、私は、
一旦、自分の学歴を0として、
まったく畑違いの世界で生きていくことにしたのだった。
学歴が高いほどマイナスの評価を受けるという世界で、
しのいでいる。
だから、学歴をありがたがる気持ちもわからないでもない。
結果が出ないと評価が0であるという世界では、
どのような努力をしてきたかということは、
あまり考慮されない。
ただ、勝負の世界では、
これは当たり前のことであり、
どれほど過去の実績があったとしても、
勉強しなくなった時点で、
体力の衰えが始まった時点で、
どうにもならなくなるのである。
現状、厳しいが、
仕事がきついということは、
当たり前のことであり、
少なくとも、
この点においては、
安心材料とみていいと思う。
こういった文章を書いているのは、
少なくとも、
真面目一本でやってきた多くの高学歴の方たちの
挫折を味わっていたころを思い出すからである。
私も、
学歴に甘えたい時があったのだった。
食べていくためには、
フラストレーションを味わうことも、
あるが、
怒りに燃えることは、
わりと、
あり過ぎるので、
多くの場合、
少しだけ、
見方を変えることで、
気分がずいぶん軽くなる。
そう。
官は、副業が禁止されているのである。
さらに、厳格な時間割の中で
勤務しなければならない。
しかも、仕事が評価を受けることはまれで、
苦情を受け続ける日々。
これではきっと参ってしまう。
だから、
民間から見た官と、
官から見た民間と、
両方を知るものとして、
この問題はきっと、
永遠のテーマであり続けてほしいものだと、
非常に、
学歴の話とかどうでもよくなってくることが、
おわかりいただけるかと思う。
ちなみに、
高学歴の学校の同窓会は、
自分が欠席しても、
たいして問題にはならない。
その点では、
気楽ではある。
欠席する理由とか、
同期が懐かしいとか、
そういった感傷を否定するつもりは、ない。
いやな思いをしたことは、
強く記憶に残るらしい。
なので、
苦労話や自慢話をするときは、
こんなに長々と書いてしまわないように、
気を付けたいとは思った。
若干疲れた。
疲れた時は、なんか好きなことでもするかな。
地味に、
私は、
学食で食べたグラム1円のたたき売りで
食いつないでた頃を思い出したりもした。
人間技を超える技は、
スーパーサイヤ人にしかできない。
サイヤ人はたぶん、学歴あんまり関係ないと思った。