或る日、僕は

「ほぅ…お客さんか、珍しいな。ここはダンジョンだ。わたしはここでコーヒー飲んでるから、ゆっくり見て行ってくれ。幸運を祈る。」Since 2014.

終活: 四十代の課題と自覚

 こんにちは、てるです。今回のテーマは、終活です。四十代になってから度々考えるようになっていた事柄で、どうもスッキリしないことから、一度頭の中を整理する意味合いでも記事に書いておきたいと切に願っておりました。

 四十代。あんまり考えたくはないんですけど、いつ終わりが来てもおかしくない歳です。とにかく身体がつらい。だけど、まだまだ倒れるわけにもいかないと意気込むのもわるくはないんですが、カラダはウソをついてくれない、悲しいかな、結構疲れがたまっています。

 そこで、安心を得る意味合いも兼ねまして、終活について一度考えてみたいと思いました。前置きが長くなりました。スピーチが長くなる理由がだんだんわかってきているような年頃になってしまったのかと思うと、若かりし頃を思い出すのもまたオジサン化現象だと思っております。

人生長いようで短いようで

 いやその、なんだか改まって考えると、あんまり考えたくないなあ。今日の日がいつまでも続いていくはずはないんですが、なんだか、他人事のようにも思えてきます。

 これから、残りの人生で成し遂げたいことが、わたしにはまだあるのだろうか? この問いに対しては、確信をもって「ある!」と言い切れます。なぜなら、それがわたしが生きている意味だからだと考えるからです。

 ここまで書いてきて、ふと、涙が浮かんできていることに気が付きました。いろんな別れがあったなあ…。これから先、わたしは、両親を看取るまではまだまだ倒れるわけにはいかない…と思いながら、両親けっこう元気で、なんだかんだ文句も言い合いながらなんとかかんとか暮らしています。

思いを書き出しています

 なんか知らないんですが、書き残したことがきっかけで波乱が起こってしまうとマズいような気がしてきました。これって、全部白状したらマズいんじゃないのかと。てなわけで、一応今回はここまで! 次回があるのかないのかわからないんですけど~。

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