胸が苦しくてたまらないんだけど、特に命に別状はないという障がいを持っている。内科で診てもらったら健康なんだけど、胸が苦しくてたまらない。あまりの苦しさにのたうちまわりたいくらいだ。
それで、まあ、ちょいとわたしは医者ではないので、医学的見地からではないが、少し書いてみる。
ずいぶん前から、まあどーやら、ときどき、信じられないくらい胸が締め付けられて苦しいときがある。このまま倒れるんじゃないかと不安に駆られて、救急車を呼んで運ばれたこともあったが、搬送先の病院では「あなたはどこも悪くない」という診断だった。
身近に同じ障がいを持った親戚や家族がいないもので、なかなかわかってもらえなかったんだったが、いわゆるパニック発作というやつである。心臓が締め付けられる感じがあって、恐怖感を伴うこともあり、たとえば、この文章を書いているいまも、ずいぶんと苦しい思いをしている。
それで、精神科にかかっている。わたしは、かつて精神科がどのような経緯を経て今に至っているかを知った。それまではまったく知らなかった。
そして、いまかかっている精神科の雰囲気は、案外ゆったりとしているように感じている。受診に行くと、なぜかはよくわからないけれども、なんとなくゆったりした気分になるから不思議だ。
話を進める。
調剤薬局に処方箋を持っていき、おくすりの調剤を待つのだけど、ここ数年間処方は安定していて、おくすりもいつも通りである。はじめの頃は、家族が付き添いで病院まで付いて来ていてくれてたんだけど、そこまで体調が大崩れすることは以前より減った。
それで、おくすりを飲むことになるんだけど、たとえば、職場でこれだけの分量のおくすりを毎食後に飲んでいると、ちょっとびっくりされることがあった。この点は、わたしの場合では、障がいを持っていることを明らかにしたうえで働いているもので、さほど抵抗なくなんとなく受け入れてもらえたら十分だと思っている。
工夫としては、「健康のために飲んでます」とか「ちょっとね」とか、「まあこれでも維持量だから」などあるが、あまりにも毎日おくすりを飲んでいる姿を同僚から見られていると、たまに心配してくれる優しい方もいる。これはとてもありがたい。優しく接してもらえることもあるので、まあ胸は締め付けられるほどに苦しみを味わっているのではあるが、うれしいといえばうれしい。苦しいけど。
まあ、毎日のようにと言うか、毎日飲み続けるおくすりなので、わたしなりの工夫ができてきている。
たとえば、おくすりを飲むことがあまりにも日課になっているため、2回分のおくすりを間違えて同じ時間帯に飲んでしまわないようにする工夫、飲み忘れないような工夫だ。3日分のおくすりをピルケースに小分けして、ケースにシールで「朝」「夕」「眠前」と貼っておいてある。おくすりを飲み忘れると心臓が締め付けられるほどに苦しむのはわたしなので、これはもう生活の必須業務とすらいえる。勤務日だろうが休みの日だろうが、おくすりを飲み続けなければならない。なんせ、飲み忘れたら苦しむのはわたしである。
まあ、統合失調症の予後の実感を書いてみた。限りなく個人的な話で、決して一般論ではない。また、医学的見地を示すものでもない。
どこまで話したものか、少しわかりづらい点もあるとは思う。現代の医学でも、完治させることのできない疾患の一つである。ただ、対処法がある程度わかってきていることから、いくらかでもイキイキと暮らしている様子が伝われば良いなと思って、この記事を執筆してみました。
そして、書きたくない話を書かないこともまた、わたしなりの配慮です。読者には知らなくていいことを知りたくないという自由もあると思います。