或る日、僕は

或る日、僕はコーヒーを飲んでいるかもしれない。Since 2014.

上司の自己アピールにほとほとくたびれている昨今

 こんちはーてるです。2年前からわたしと一緒に働いていて、今年わたしの上司になったある男性について書きます。

 2年間、経ちました。2年間です。2年間一緒に働いているのにも関わらず、です。

 この上司が為したことは、人員削減、人件費削減、営業時間短縮など、何も新しいものを生み出さなかったのでした。新規性のある提案はすべてつぶされ、職場内にはどんよりとした暗い雰囲気が漂い、それでいてこの上司はなぜか知らないが元気なんです。

 実際に、わたし自身も仕事を辞めてしまう方向で調整していたのですけれども、別の角度からの支援者の一言で思いとどまりました。
「オープニングスタッフで、17年働いてきた職場を辞めるのはもったいない」

 そこで、ひとつ気になっていることがあることに思い至りました。「この上司は、もしかしたら、何も考えていないんじゃないのだろうか」と。

 たぶん、2年間一緒に働いてきた中でわたしの感覚としては、会議、相談、連絡等、一方通行ばっかりなんですね。どれをとっても、上司からの自己アピールばかりで、わたしの話がまったく通じていないと申したらよいのでしょうか…。

 ときに、すこし話題をかえます。

 福祉の世界にありがちな、高圧的な態度の塊のような方です。親切にしてもらうのが当たり前だと思っていて、お礼を述べることすらせず、親切にしてもらえるありがたさにもう慣れきっていて感覚が麻痺している。こう書くと、すこしわたしの実感とは違います。実質は、親切にすること、善意を施すこと、労をねぎらうことを良しとしている方です。つまり、仕事の場面でのみ接する分にはまだ我慢できるレベルです。

 なぜわたしがくたびれるのか。

 つまり、善意にせよ、親切心にせよ、それ自体はとても良いことなんですが、2年間一緒に働いてきたにもかかわらず、この上司は何を言い出すのか全く読めない。何を言い出すかわからないので、気軽に話しかけるのが難しい。壁と距離ばかり感じている上司から労をねぎらわれても、複雑な心境になるばかりで、話せば話すほど距離ばかり感じる。

 ここからすこし学ぶこともあるのかもしれないと思っていたのですが、たぶん、実りはないと思っています。だったら、仕事は仕事と割り切って、賃金を得るための手段として働こうと思ったのでしたが、なんせ人件費削減を為した上司ですから、賃金は実に7割カット。わたしは、事実上の降格処分になっています。

どうするか?

 どうするか、です。どうしようかな。どうにもならない。不遇の時期にあります。

 まずは、わたしはわたしの心身の休息を考えたい。疲れました。倒れる前に、休もう。

 賃金はほぼないものと割り切って、まずは暮らしていかなければならないんです。暮らしがあって、仕事に行ける。いま、仕事で行き詰まりを感じているので、すこし気持ちを暮らし寄りに移そうと思います。いま、仕事が立ち行かなくなっているのは、わたし個人ではどうしようもない。賃金は減っているのにもかかわらず、求められる仕事はより厳しいものになっていて、心身ともにもう限界です。

 もう一度書きます。

 倒れる前に、休もう。>わたし

<過去記事>辞める方向の調整の記事
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