僕の勤め先はマスターが何人かいて、僕もたまにマスターを務めることがあった。なかなか面白い話をする機会がなかったのだが、ここぞとばかりに一つ書いてみたいことが思い浮かんだため、深夜という時間帯にもかかわらず書いてみたいと思った。
コーヒー1杯で何時間粘れるかチャレンジ
僕も学生の頃に試したことがあって、大体2時間くらいが限界だったんだ。喫茶店、っていう空間がけっこうざわついている場所なんだけど、なぜかはわからないけど読書がやたらはかどる空間だっていうのが僕の喫茶店のイメージというか原風景というか、コーヒーを注文して本を読み始めるというのが僕の喫茶店での主な過ごし方だった。
それで、「コーヒー1杯で何時間粘れるかチャレンジ」って僕は呼んでいるんだけど、ときどきお客さんにブレンドを注文するお客さんが居て、それで、なかなか帰る気配のないお客さんが来ることがあった。
僕は懐かしく思いながら様子を見ているんだけど、お客さんが居ること自体はたいして珍しくもないし、特に迷惑でもないため、カウンターに立ってコーヒーを作ったり、調理場で洗い物をしたりしながら、(きっとコーヒー1杯で粘っているんだろうな)と、(なんとなくゆったり流れる時間を心地よく過ごしていられるんだろうなあ)と思った。
ときどきお客さんから、長い時間店内で過ごすことを遠慮されることがあって、僕は個人的には(思ったよりも、怖そうに見えるのかも・・・orz)と勝手に落ち込むこともあったんだ。個人差はあると思うんだけど、喫茶店のマスターって、なんか渋い顔でコーヒー豆を挽いているイメージがあるようで、(そうだなあ、ウチのマスターは滑舌が良くない方がいるからなあ)とか想像していると勝手に面白くなったりもしてたんだ。
コーヒー1杯で何時間粘れるかチャレンジを試みている(と思われる)お客さんを眺めているとき、飲食の仕事で管理職の方とかは回転率とか気にするんだろうけど、このあたりは経営する側が考えることで、僕がマスターの日は、特にそのお客さんに声をかけるわけでもなく、お客さんが居る時間はずっとカウンターに立っていることにしていたんだ。
別に、お客さんが粘っていて何か良くないことがあるかと言えば、これはあんまり理由もなく、むしろ僕としてはけっこううれしい気持ちになっていたんだ。
それで、お冷を注ぎに行くと、お客さんのほうから声をかけられることがあったんだ。
話の内容は僕の方針として書かないんだけど、けっこう専門的な内容だったりして、僕の話の引き出しからなんとか引き出してくるような話の返しを咄嗟に返す、ってことがけっこうあったんだ。お客さんから教わることがたいへん多く、僕は、耳学問と思ってコーヒー1杯で何時間粘れるかチャレンジをしている(と思われる)お客と会話するんだけど、ところがどっこい、コーヒーを楽しまれていることがわかったり、スポーツの話だったり、僕の知識量が増えたのはこういった何気ない会話の積み重ねだったのかもしれないなって思うんだ。
まとまらない話がまとまることがある
マスターを務める日が交代制なのには理由はまあいろいろあるんだけど、ウチのお店ならではだと思うなあ。お客さんがコーヒーを飲んでいる風景が日常風景になっていたのは、たぶんちょっと珍しい光景かもしれないなって、思いました(^_^)テヘ
ちなみに、僕のデザインした制作物がけっこう長い期間使われていて、制作当時を思い返してみると、当時の上司の抜擢に感謝したいくらいありまして…。制作難易度としては、MOS合格したばっかりの頃に作った感じでした。一応、100分の1ミリメートル単位で寸法合わせてあるので、まず一般に制作不可能と思われるレベルの細かさ・正確さです。それでいながら、印刷して裁断するときはけっこうラフにカットしても実用に耐えうるつくりになっているというモノ。基本、ラクしたがりな性格なもので。手間を惜しまないことで後々ラクできると思ったんでした(笑)。まさか制作当時は、15年も使われることになるなんて想像してなかったんですが…(汗)。
今となって思うと、お店の生命線だったんだなあ~ってなんとなく思ったりとか。