肉じゃがのCH3COOH

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数学っぽい日記|2018/10/10(水)

 こんばんは、淡です。秋深まるこの頃。いかがお過ごしでしょうか。淡は元気に過ごしております。
 私は辞典を読み耽っていた時期がありました。そうですね、学生時代に遡ります。文中の一人称は「私」で書き進めます。

 私はどちらかと言えば、丸暗記が苦手だったため、とにかく手を動かして書くことに重点を置いて勉強をしていました。数学です。数学の勉強においては、とにかく筆記の量、どれだけ手を動かして書いたかという練習量が重要です。

 例として、手計算の良いところを挙げてみます。計算の過程、思考の過程が見えるため、どこで間違えたのかわかりやすいという点です。数学は、実に多様な数字や記号を扱います。手計算では、たとえば、式の変形の過程で加算記号と減算記号を間違えた場合。身近によくある話ですね。頭の中だけで考えていた場合、途中で誤算したとしても、どこで間違えたのか自分ですらわからない。「なぜ間違ったのか?」の原因がわからないこともよく聞く話です。ただ、間違えることそのものはたいした問題ではありません。間違えたことに自分で気がつけるかどうか、ということのほうが大事です。これには、いくつかの段階があります。

 わかっている、つまり自明であると思っていたことが間違っていることがあるのです。このことを認めるのはつらいことです。数学の学習の過程において、自分自身が天才ではないことに気がつく瞬間が必ず来ます。この瞬間を乗り越えられるかどうか。数学という学問に対して苦手だと思うか、得意だと思うか、あっさりわかるものでもないことに気が付かされる瞬間です。粘り強く考える力を養うためにも、「今はわからないけど、ちょっとここはがんばって考えてみようかな」と思えたら、上出来です。

 考えて考えて、それでもわからなくて、わからないわが身のふがいなさとかを考え始めたら若干方向間違えてるのですが、まあ、数学に取り組んでいた時期はそういう若さゆえの悩みも抱えていたりもするものです。で、ちょっと書き進めてみると、「あれっ、こうかな?」と、見えない補助線が見つかったりもするものですが、考え抜いている最中には見えなかったものが見える、すーっと理解できる瞬間も必ずやってきます。これは、数学を考え抜いたことのある方にとっては、非常に共感を得ることのできる瞬間だと思います。ずっと解けなかった課題に解決の糸口が見える。この醍醐味を知っているかどうか。もし、ご存じないようであれば、人生の7分の1を損しているような気分を味わっているはずです。

 なぜこのような論旨の展開になったのかについては明言を避けます。若干、読みにくい点や、加筆修正しないと意味の通らない文章になっているかと思います。わかりにくかったですよね。すみません。なぜなら、今日私が聞いてきた話がもっとわかりにくかったということを、どのように私の思考の中で消化しようかと思ったからです。話が展開しそうなのに書かれていないのは、意図的ではなく、筆者である私の文章力不足と捉えてくださると、正しい理解だと思います。

 本日、概ね良好。しかしながら、課題も残る一日でした。
 一日の締めくくりに、少し気分を変えてみたかったのです。

 夜も更けました。それでは、おやすみなさい。辞典を枕代わりにして床に臥します。

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