或る日、僕は

或る日、僕は君のことを思うかもしれない。Since 2014.

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母親への憎しみ

 少し、書いてみたい。


 わたしは、つい最近まで母親に対して殺意を抱くほどに憎んでいた。そして、この憎しみの感情は、時間をかけてゆっくりと醸成されたものであるから、長年にわたって母親を憎んでいたことになる。


 この憎しみの感情を昇華することができるのだろうか。いま、少し落ち着いて考える時間をとることで、言い換えれば、憎しみの感情にとらわれて我を忘れていたこと。わたしは、わたしの自我を母親に支配されていたかのような感覚に陥っていた。


 つまり、憎しみというと少し根深いものがあるが、要はわたしは母親のことを全く好きではない。むしろ嫌いである。できれば殴りたいくらいあるのだが、なんとか我慢している。


 母親を殴りたい気持ちはある。この敵意に満ちたわたしの感情を、別の方向に向けることができないか。


 わたしは、あまりにも自分自身の本質的な感情に、無理やり我慢をさせ過ぎていた。だから、実際に母親を殴ることはないかもしれないが、心底このひとを殺したいと思うほどに憎しみを感じていたことはまたわたしの感情である。


 なぜこのような感情を持つに至ったのかはここには書かない。


 わたしは、母親に対して負の感情を持つことすら、自分自身に噓をついていた。だから、心の動きに関して言えば、あと少しだけ、一歩引いてわたし自身の感情を客観的に見つめることで、母親も現代に生きる一個の人間であることを、理屈で理解したいと試みた。


 実際に殴りたいほどに気持ちはいらだっているのではある。この気持ちをないものとして、わたしがわたし自身を欺いていたことで、わたしは自分自身に心の傷を負わせていたことであろうと思う。


 納得のいかない話について言えば、キリがない。だが、それはさまざまな人生の分岐点を後から振り返ったときの結果論であり、その時その時の判断について言えば、後付けでああしておけばよかったなどと言っても後悔するばかりで前進はない。


 さて…。わたしがなぜ母親に対してここまで執着するのだろうか。


 抑えつけていた感情と、誰にも話したことのなかった感情。


 わたしは、母親を心の底から不憫に思った。


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