今までの人生で少なくとも7回は引越しをしていて、今住んでいるところは実家である。亡祖父が町内会長をしていたらしく、わたしは良家の出身ということでわりと良いとこのボンボン育ちっていうのが、どうしても自身の中でコンプレックスになっていた時期もあった。
わたしは両家の祖父母にとって初孫であり、幼少の頃はものすごくかわいがられて育ってきたらしい。このおかげで、少年時代にはわたしにかかっていた期待も大きく、また、両親と弟と暮らしていく間に、さまざまな親戚親族との関わりもあったり、近所では非常によく知られた秀才として育ったりしていた。
まあ、少なくとも、わたしは我が家の三人兄弟の長男であることは確かである。長男坊として特に何かしら優遇されていると感じることはあまりないが、いまのところまだわたしがリーダーシップを発揮するときは来ていない。むしろわたしは、アウトサイダーであることを望んでいて、家業を継ぐか継がないかの話は特に普段の会話では意識しないで済んでいる。
話を進める。
我が家の家業は、確か今年で創業から70年ほど経っているはずだが、創業当時の写真というのは残っておらず、また、わたしの一番古い記憶においても、わたしの親父は家業を生業として働いていた。親父さんはわたしが23歳だったころ胃癌と診断され、入院して手術を受けたのち助かった。親父さんとの思い出話を書かないのは、下手なことを書くといろいろと怒られそうだからであるが、まあ今でも親父さんは家業を生業として働いている。稀に見るハイテク親父で、だいたい家で過ごしているときはテレビを見ながらなかなかうるさいことこの上なく、わたしは辟易するばかりではあるのだが、親父さんと家業を一緒に手伝ったとき、初めてわたしは親父さんがどれほど苦労して生計を立てていたのかを知ることになった。まあこの話は別の機会があったら書くかもしれない。
ところで、我が家の雰囲気は、並々ならぬ緊張感が漂っているのがふつうである。こうやってブログを書いている時間が息抜きに感じられるほどの緊張感である。実家で暮らしていて緊張感が漂っているというと、どういうことなんだろうかと気になる方もいらっしゃるかもしれない。これは我が家ならではである。