或る日、僕は

「ほぅ…お客さんか、珍しいな。ここはダンジョンだ。わたしはここでコーヒー飲んでるから、ゆっくり見て行ってくれ。幸運を祈る。」Since 2014.

ブログを書き続けるということ📗

 ちは、淡です。更新を週1回にしてみて思ったことを書いてみようと思います。

 軽く考えてみても良いし、重くとらえなくても良いのかもしれない、また、難しいことを書かないといけないわけでもなければ、簡潔に書かないといけないわけでもない。

 いまのわたしにとって、ブログを書くということは、暮らしの中でそれなりに大切な時間であること。このことが確実にわかってきたのです。

 このことは、ブログとして公開しない文章を書く時とある程度の差異があることからも明らかです。と申しますのも、ブログとして書く文章は、どちらかと言えば共感を得たいときや何らかの発表という形式をとることが多いので、ローカル環境で書いている手帳などスケジューリングや紙のノートに書く雑多な文章とは差異があります。

 ちょっと思考が煮詰まってるときとか、日々の暮らしにおいて苦しい状況にあるときとかにブログを書いてみると、案外共感を得られることは、ご存じのとおりです。この「共感を得られる」こと。アドバイスではなく、解決策の提示でもなく、書いたことに共感してもらえるということ。この感覚が、わたしにとってみると、暮らしの中でそれなりに大切な時間だったんだなって、改めて思いました。

 さて、ブログを書いている動機付けはお分かりいただけると思います。しかしながら、書き続けるとなるとどうか。なぜこうも、書き続けているのだろうかという問いに対する答えとしては、若干まだ動機付けとして弱い感じがします。なぜなら、共感を得られたらもうそこで満足してしまうかもしれないし、もし共感をだれからも得られなかったとしたらなおさらだからです。

 なぜ、ブログを書き続けているのか。

 一言で言い切ることができます。

「自分のために書いているから」です。

 誰も代わってくれない自分のために書いているから、ブログを書き続けているのです。

 文章が上手いか下手かについては、まったく気にする必要のないブログという文章形式。もしかしたら誰かが読んでくれるかもしれない文章。書いてある文章は確かに自分で書いたものであり、また、確かに自分で考えたものであること。論旨が通っているかどうかという1点を気にしないで好きな形式で書いていられる文章形式。

 上手い下手を気にしてたら、書いた文章をだれかに読まれるかもしれないというのはものすごく怖いことになってしまいます。だから、一生懸命考えるわけなんですね。何気なく書いてあるように見えるブログも、書き手は一生懸命考えた末に編み出した表現を使って書いているわけです。

 大丈夫! 初めから上手いひとなんていません。書き続けていくうちに自然と上手くなっていきます。例えば読みたい文章を想像してみたら良いです。自分が読みたい文章を書けるようになれたら、なんだか凄くないですか?

 そうなんですよね。自分が読みたい文章を書けるようになりたいから、書き続けているんでした。

 書いているうちに楽しくなってくるお話や、絶望の淵から脱出した苦労話、あのときこうだったけど、いまはなんとかなってるなぁ~って、なんとなく読み返してみたくなる文章。

 そんな、自己満足のために書いてるんですか、って言われても…。それもまた事実ですから、ある意味正解です。たぶん、ブログを書いてる方って、それぞれに正解を探しながら書いてるんだろうなって、なんとなく感じるんですね。

 興味の方向がいろんな方向にあるからこそ、書くことは面白く、また、読むことの味わいを深めるもの。

 ちなみに、この文章を書いてるときに、どんなふうに書いているのかご想像いただくのもまた興味深いのではなかろうかと、ひとつ問いを投げかけてこの記事を締めくくりたいと思います。

 ご精読ありがとうございます。

To be continued...

 このブログは続きます。続くんです。ゆるゆると。

▲このページの先頭へ戻る