こんなに気持ちが温かくなっている。
私の幸せを喜んでくれる人が居ることに、静かな安らぎを感じた。
最近の私は、少しだけ、疲れていたのだろう。
冷たい雨の中で、ひとりぼっちになってしまっていたのかもしれない。
でも、私が居ること、私が元気で居ることを、喜んでくれる人が居る。
今という瞬間に、たとえば、冷たさを感じることに、
安らぎを覚えていること。
そばにいること。うどんにいること。
それは、出汁であり、昆布だったり、鰹だったり。
私が居ることが、そんなにも、誰かの喜びであるならば、
そこにあるはずの目には見えないものに、
心寄せて、気持ちを寄り添ってくれるだけでも、
私は、幸せを感じられるようになったのかもしれない。
温かい気持ち。私が忘れていたもの。
それは。
「あなたは誰のサポーターですか?」
そう、答えは既に知っていたけど、目に見えていなかっただけなのだった。
私は、私を、理解した。
そして。
自然の摂理という過酷な現実を、生き抜いてみたい。
どこまで生きられるかはわからないが、
命ある限り、なにかできることがある。
それが、成就するかは、わからない。
立ち止まって初めて、見える景色があったのだと。
私は、あまりにも、自分を責めすぎていた。
ひとまずは、コーヒーでも飲みながら、
今日感じた温かい気持ちに、
感謝したい。
きっと私は、また、人を愛することに、
とまどい、恐れ、迷っているのだと思う。
私は、恋愛に、潔癖を求めていた。
それは、あまりにも無理なことだった。
このことに改めて気が付き、
私の行動に枷をはめていたのは、
私自身であったことに気が付いた。
だから、例えば、「愛とは何か?」という命題について、
私はたぶん今だったらこう答えるはずである。
「私は、愛とは許すことだと思う。」