或る日、僕は

「ほぅ…お客さんか、珍しいな。ここはダンジョンだ。わたしはここでコーヒー飲んでるから、ゆっくり見て行ってくれ。幸運を祈る。」Since 2014.

ぐだぐだ日記 #80 傾斜配点

 こんにちは、淡です。私の高校時代の話をちょっと雑談がてら話してみました。その話題はちょっと横においておいて…。

 本日の日記を書くにあたっての前置きとして、昨晩、とんでもない眠気があったこと、熟睡できたことを書きます。どうやら、睡眠不足気味だったようでした。

 私の勤め先では、主な事業が3つあります。そのうち2つにかかわっています。きっちり働くことは、実は、私が思っている以上に評価を得ています。私自身の自己評価よりも、周りからの評価のほうが高いのです。これは、珍しい形だと思われます。

 さて、今日の日記は傾斜配点と題しております。傾斜配点。聞きなじみのある方も、あまり聞いたことがない方もいらっしゃると思います。詳しい解説をすることは、私の本業ではないため、省きます。

 実は、私は2回、国立大学の入試を受けたことがあり、また、2回とも手も足も出なかったことを記述しておきます。

 新規性という言葉を出してみます。従来なかったものや事柄、サービスなどを示す言葉です。これをキーワードとします。

 音楽の世界において、新規性を考えるとき、どういうイメージを考えるでしょうか?

 ここで、前述した珍しい形の私の評価の話とつなげてみます。

 私が体験した就職活動の時期は、ちょうど就職氷河期と呼ばれる時期でした。大卒の就職率が8割を下回る水準だった時期です。当時の私は、今の私よりも、もっと自己評価が低かった。とにかく勉強一本でやってきた私にとってみると、学業優秀であることが、かろうじて私のアイデンティティだったのですが、これも崩れ去り、自我を保てなくなってしまったのでした。今になって思い返すと、私は視野がものすごく狭くなっていたのでした。

 よくよく考えたら、バイトも仕事です。自覚があまりなかったのが私自身の認識の甘さでした。失敗談に関しては事欠かないくらい、恥ずかしい思いをしたことが、あります。

 で、そのような思いを何度も味わいながらも、恥ずかしいと感じるのは、私にとってみると、実は大切なことだったのだと、ある日、突然気が付きました。私は、すねていただけだったのだと、気が付いたのでした。努力もした、頑張ったと思っていたにもかかわらず、なぜここまでうまくいかないのだろうかと、考えてみたのでした。価値観が変わりました。私の若年時の最も大きな収穫だったと思います。

 考えるための道具は、身近にありすぎて気が付かなかっただけだったのでした。

 実務にあたって、本質を見極めるのは、なかなか苦労もしたものですが、少しだけ、肩の力が抜けました。

「私にも、できることがある」

 それから、少しずつではありますが、なるべく本音に近いところまで、自分のことを考えてみたのです。

 私は、かつて、新人だった。それも、ずいぶん生意気な新人だった。そんな私が今では大卒の新人さんと一緒に働いています。立派な人でなくていい、みんなから愛される人でありたいと思ったのは、私のような人間にとってみると、きっと素直な感情だと思います。

 だから、かんしゃくも持っているし、ときに面白いことも言ったりするし、交友関係で悩んだりもするのですが、私自身の本来性を無理に変えようとしないほうが私にとっては良いのだろう、と、最近では思うのです。

 モタさんの本に書かれてあるさまざまな文言は、私の現在進行形の暮らしぶりの中でも、ぜんぜん古くなっていない。誰しもが経験する人生における新規性を得る時期について、本当に平易な言葉で解説されてあったのだと。何度も読み返すたびに、同じ文章を読んでいるはずなのに、とにかく優しさにあふれたその文体から得るものはと言えば。今までの人生、そして、これから先の人生を歩んでいく中での頼り綱です。私の歳で、人生を投げるには早すぎる。そのためには、今の一日一日をおろそかにしないで、日々の暮らしの中で味わう様々な新しい出来事を、ある意味では、私なりにうまくそれなりにやれているんじゃないかと、ちょっと私は、私自身のことを労ってあげてもいいのではないかと思うのです。

 ちなみに、大学入試に落ちても、人間いろんな生き方があるもので、世の中の怖いところはあまりにも多すぎて言語に絶するものがあるなぁと思うのです。

 あ、私の先輩の話を少しだけ交えてみました。どの箇所かは秘密です。一部ノンフィクションも混じっていますが、個人を特定できないよう一般論として述べています。けっして過小評価でもなく過大評価でもない等身大の私が、わりかし時間を割いてブログを書いています。

 この、「わりと」とか「適当に」とかいう文言は、「私としては自信はないけどあえて」という意味合いで用いているつもりです。

f:id:printftan:20210818172108p:plain

▲このページの先頭へ戻る