こんにちは、淡です。錦秋の候、いかがお過ごしでしょうか。淡は元気にやっております。
ちょっと今回は、まじめな話を書きます。
まじめで几帳面、律儀で責任感が強いという性質だった私が挫折を味わった学生時代の終わりの時期、本当に心身共に追い詰められていました。今思うと、危機的状況だったと思っています。精神状態が荒廃していました。
幸い、医師にかかることができ、奇跡的に助かりました。今も長い長いリハビリを続けています。学生当時の友人は「燃え尽き症候群」と言っていました。頑張りすぎたのでした。
主治医との関わりは、定期的に行っています。素人判断が危険なのはご承知だと思います。なんせ二十代前半と言えば(回想です)、社会生活を送る知識や経験のほとんどない年頃です。今でこそ、ここまで図太くなっていますが、私にも多感で繊細な年頃だった時期がありました。
難しい話ではありません。体力と気力の限界を超えてまだまだ頑張ろう頑張ろうとしていたら、身体から休息を求めるサインが出るだけの話です。「疲れ」を感じないひとはいない。合理化効率化を求めていった末に健康を害してしまっては元も子もありません。
私のリハビリは続いています。私のリハビリは、どちらかと言えば、病気そのものに焦点を当てるものではなく、どのような場面でつらさを感じているかという私自身の感覚に対して、医師や医療スタッフ、地域の保健センター、PSWのかたたちと一緒に工夫したり知恵を絞ったり話をしてみたり、という形のリハビリです。いかがでしょうか。イメージと少し異なるのではないでしょうか。
もちろん、私なりの工夫を編み出してきた過程では、困難な出来事に出会ったことも少なからずあります。リハビリの過程で、本来の性質にはなかった柔軟性を、練習しながら、工夫しながらの過程で、得たのです。
心身共に追い詰められていた時期も、決して無駄な時間ではなかった。これまた長いモラトリアムの期間だった、と思えるくらいにまで、回復しています。
だから、私の場合は、病気とたたかうイメージではなく、孫子にもあるように「かを知り己を知れば百戦して危うからず」で、この病気について、どのような資料や情報があれば家族からの理解を得られるかどうかという点をずいぶん工夫したつもりです。
暮らしの中での毎日の服薬は、たいへんです。工夫を凝らして服薬を続けています。なんせ治療薬です。服薬を継続していくことは、私と主治医との約束です。
私なりに、書いてみました。こんなにまじめに書いたのは、初めてかもしれません。どうぞ、ご心配なさらず。案外、充実しています。