「人生は、数学的には言い尽くせないが、音楽的には言い尽くせる」
私が忘れられない言葉である。出典は、確か、森毅*1の著書の中にあった言葉だった。
ここ最近、余りにも感情的な文章を読む中で、私が失念していたことがあった。
それは、
「相手は文章を書く専門家ではない」
ことである。
丁寧に、書いてみる。
出版物には、出版される前に、編集と校正が必ずある。これがあるから、出版物は安心して読んでいられるし、間違いを探しながら読むというちょっと意地悪な読み方をすることもできる*2。
実際、推理小説を読む際、タネが先にわかってしまったら、その時点でページを飛ばしてタネを読んでしまうのが、私の性である。目新しいトリックと言えば、難解かつ文章量が膨大ではあるが、「すべてがFになる」で著名な森博嗣*3の著書を、1ファンとして挙げておく。
個人的に、田中芳樹*4を読みふけっていた時期があった。根強いファンの多い作家であり、また、アンチファンも多い。活字量はとても多い。1つの作品について、続刊が出るまで、多くの読者から待ち望まれている長編SF作家であり、毎回、期待を裏切ってくれる話の展開に、私の先読みの利かない稀有な作家の1人である*5。
話は変わるが、楽典の解説書を図書館で読んだ。これまた難解であった。たとえば、ピアノの鍵盤の1オクターブは12鍵では足りず、53鍵必要だとする解説があった。なんのこっちゃという話だと思われるが、ずいぶん真剣に読んだものである*6。この解説書から得られた数値を当時のキャンパスノートに書いておいたため、現在、研究を続けることには、成功している*7。
ここのところ、読書から遠ざかっている。蔵書の中で、読了できていない書籍*8のなかから、私の蔵書の中で最も高尚*9な書籍「掌の小説」を挙げておく。著者は、言わずもがなである。短編集であるのだが、難解なことこの上なく、作品を1つ読むのに数時間かかる。文学の妙味が1冊に凝縮された、珠玉の短編集である。