てるの或るでんて

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名物往復ビンタ(1,900文字程度)

 往復ビンタで風評をとっていた小学校時代の担任の先生について、感謝の意を込めながら*1文章を書いてみたい。 わが恩師である。この先生は、子供にとても人気があり、その由来は、やはり往復ビンタである。これは同級生の間では公然の秘密となったが、親世代にはあまり知られていないのである。実際に役に立つ技術を体得させてくれた先生であるからこそ。なお、この記事を書こうと思った動機は、毎日新聞の余禄を読んだからです。

名物往復ビンタ

 先生が就任されるときに講堂でご挨拶された。掃除をサボったり、宿題を忘れたり、女の子をいじめたりといった、つまり、悪いことをすると、先生は往復ビンタを食らわせる、といううわさが流れた。とても怖い先生という評判が子どもたちの間で広まった。もちろん、親御さんにもそのうわさは流れる。「これは、真面目にしておかないとまずい」と、思った当時小学生だった私。
 私の遅刻癖、つまり、時間を守れないことはまずいことだと人生で初めに教えてくれたのは、この先生である。

 私自身は、性根が不真面目であったためか、とにかく学校は遊ぶところだと思っていたので、今の私にも少しは残滓があるのだが、授業には出ていたし、ほとんど勉強した記憶がない割には成績も悪くなかった。むしろ、成績優秀であり、それを自慢しすぎて同級生からいじめをうけていたほどである。ところが、先生は「なぜか知らないが」私に対して、渡り廊下を10往復雑巾がけするように命じたのである。この「なぜか知らないが」が話の勘所である。子どもだった私にとっては、「なぜか知らないが」である。小学生だった私は、「自分勝手」という言葉を、知らなかった。

 詳しく書くのはまた後日にするが、私は「目上の人が居る前では真面目にふるまっていたが、目上の人がいなくなると自分勝手なことをする」という小学生だった。この私の性格は、今にして思うと、「傲岸不遜」のひとことである。後年になって、かなり苦労した。今でも直りきっていない部分もある。最近では、開き直って「自分のしたいようにふるまって、もしかしたらそれでも好いてくれるひとがいたらそれでいい」と思っている。

技術面の話

 今でこそプレゼンテーションにスライドを使うのは珍しくなくなったが、今からもう20年以上前当時にスライド(OHP)を活用した授業をされていた。6教科を受け持って、2年間私の担任の先生だった。特に家庭科に力を入れておられ、やんちゃ坊主だった私でも目玉焼きを作れるようになった。生徒からレシピを募集し、それを教室に掲示されていた。

長じて

 話は飛ぶが、大学に入って、親元を離れひとり暮らし、さて、ご飯をどうするか。私は鈍感すぎたため、大学に入学するまで、ご飯をどうやって作っていたのか、どうやって生活できていたのか、まったく気が付かなかったのである。大学時代に自炊できてた基礎は、この小学生時代に学んだ家庭科の技術を活用したものである。実践である。自炊生活。失敗した料理を作ったとき、他に食べるものもなく、食べたものだ。厳しい現実を目の当たりにし、とにかく、大学時代4年間、食いつないだ。うどん屋さんでバイトしていたのはこの時期である。今の職場で、このことを知っている同僚は少ない。そう、実は私、飲食店勤務は未経験者ではなかったのである。20代初期にこんな経験を積めたこと、当時とても苦しい思いをしたにもかかわらず、いま、いい思い出になっているのだから、人生とは不思議に妙味のあるものだ。今の仕事で活躍できている基礎は、このころに学んだものだったのだと深く感謝の意を表して、この記事を締めくくりたいと思う。(さらにまとめがあります)

まとめというかオチというか

 さて、往復ビンタである。
 先生のビンタは、「「いてー!」と大声で叫べ」というものだった。つまり、うわさと風評は、先生の巧みな演出だったのである。これは同級生の間では公然の秘密となったが、親世代にはあまり知られていないのである。実際に役に立つ技術を体得させてくれた先生であるからこそ。個人的に印象に残っている点はいくつもあるが、厳しさの中にあるやさしさを、今でこそ感じられる、わが恩師である。書いていてなんだか目頭が熱くなってきたが、これはたばこの煙が目に染みているからだと思っている。

*1:隠喩を多用しているため読解力に自信のないかた向けの文章ではありません。また、誤読される可能性のある文章です。淡のフルレベルチャレンジです。